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APUTimes

このブログは立命館アジア太平洋大学(APU)に興味を持ってくれている皆のために、現APU学生であるGASSのメンバーが公表できるギリギリの範囲で情報を発信していくブログです。皆さんの力になれれば嬉しいです。がんばります。それと同時にAPUに関する質問をなんでも受け付けているFacebookページもやっているので、ぜひこちらも利用してください→https://www.facebook.com/groups/gass.media/

「シアワセ」を探して

  "Gross National Happiness is more important than Gross National Product."

 

 これは1976年に第4代ブータン国王ジグメ・シンゲ・ワンチュックが答えたものである。“世界一幸せな国”そんなキャッチフレーズが付いたのは最近になってからだ。私は今年3月18日の早朝、タイのスワンナプーム国際空港で夢行きの飛行機を友人と待っていた。ヒマラヤ山脈の恩恵を受け新緑に輝く手つかずの自然、チベット仏教が深く根付く文化・慣習、国民の信頼を厚く受ける雷龍王の存在。そんな国に行って幸せの秘密を探したい、そんな思いがAPUでのブータン人との出会いを通して現実のものになった。

 

 世界最高峰エヴェレストを横目に、飛行機は機体を大きく曲げ、ブータンはパロ国際空港に着陸した。澄み渡る空気と自然美、民族衣装を纏うブータン国民、伝統様式を語り継ぐ家屋。出発前、日本で読み込んだブータンに関する本・論文に載っていた写真そのものであった。首都ティンプーは空港から車でおよそ1時間ほど。山を削り造られた道路はいろは坂を何個も繋げたようなものであり、車酔いに弱い人にとっては地獄であろう。“ブータンの首都は別府より小さいよ。”そんなことを私は日本にいる時ブータン人から聞いていたが事実であった。社会経済の発展が進む首都では西洋の音楽が流れ、洋服を着る若者の姿が目立ち、いたるところに建設中の建物が見られた。歩道の溝にはプラスチックのごみが捨てられ、小川はその色を変える。町のいたるところに彷徨う多くの野良犬。狂犬病の注射はちゃんと打たれているのだろうか?そんな疑問や光景を胸に私は考えていた。

 想像していた桃源郷の姿は首都にはなかった。この国はまだまだ改善するべき多くの課題を抱えている。1999年にテレビの視聴が可能となり、ブータンは外の世界に触れるようになった。急激な経済発展と外から入る多量な情報。それがもたらす多くの問題、貧富の格差、若者の失業率増加、違法薬物。ブータンはもはやヒマラヤのジュエルと呼ばれるには遠いのではないかと感じた。それでも、私は幸せの秘密を探し続けた。

 

 仏教王国ブータンには至る所に仏教信仰の姿が見られる。自然と調和するルンタと呼ばれる旗は風が吹くとそこに書かれている願いが叶うと言われ、寺院などに見られるマニ車は時計回りに回すとお経を一度読んだのと同じ徳を得ることができ、年に一度行われる祭りで披露される巨大な軸装仏画、トンドルを見ると解脱が得られるなどブータンではどこでも幸せになれる、徳を積める場所があるのだ。ブータン人は幸せを願うとき、生きとし生けるものすべての幸せを願う。これはブータン仏教の教えであり、自分の幸せは願わない。みんなが幸せなら私は幸せ。私たち日本人は幸せを考えるとき誰の幸せをまず考えるのだろうか。人の幸せ、ましてや他の生命の幸せを願うことは難しい。

 

 殺傷を嫌がるブータン人、レストランにもハエが舞い、たたき殺さずにただ掃うだけ。“このハエはもしかしたら亡くなった祖父の生まれ変わりかもしれない”輪廻転生を信じる敬虔深い仏教徒の考え方だ。命、死とは何か。私たち日本人は日常で死について考えることがあるのか。

 

 その日、私たちは首都にある一軒のバーに訪れた。そこに1人の男が現れる。ブータン人の友達は耳元でこう言う、“あれがブータン現国王ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュックの弟だよ。”伝統文化を大事にする一国の王子がジーパン、ジャケット姿でバーのカウンターでワインを飲む。異様な光景だった。

 なぜ王族がここに、なんで洋服姿で。疑問の連続であった。私は幸福にも彼とお話しする機会を得ることができた。不慣れたブータンの国語ゾンカ語を使い、ブータンのこと日本のことについて話した。彼はどこか私の尊敬する第4代国王の若かりし頃に似ていて(もちろんのこと、彼は第4代国王の息子である)今までにない緊張を覚えた。いや、緊張というよりは驚きであろう。王族と国民の距離が近いことに私は驚き、緊張を覚えたのだ。私はその時ブータンに伝わる一つの話を思い出していた。“ブータン王国に国王がその足で通ったことのない道はない”。国民一人一人の話を聞き、国を創り上げていく。まさに、人民の王。国が小さく、国民から信頼されているからこそ、この距離感が生まれるのだろうと考えた。

 

 その日は、カフェで一人の男を待っていた。ジンジャーハニーティーをすすり、JICAが提供したであろう日本語で書かれたブータンに関する書籍を読んでいた。薄赤焼けた肌、心を見透かすような目。第4代国王が17歳の時に国王に譲位する以前から、彼の学校で教壇に立っていた英国出身のマイケル氏である。現在もブータン王室の支え、英国をブータンを繋ぐキーパーソンとして活躍する方だ。彼は私たちに質問をした。“君はブータン人が幸せだと思うかい?”私はYESと答えたが彼の返答は意外なものであった。ブータン人は幸せじゃないよ”。国民総幸福(GNH)の概念を提唱しブータンを世界で最も幸せな国と呼ばれるようにまでした第4代国王を長く指導していた方がこう言ったのだ。私は雷龍の雷が背を走るかのように衝撃を覚えた。なぜ彼はそう言ったのか。それを聞かずして私達はその場を去った。(幸いにも私は彼の連絡先を手にすることができ、現在は彼の考えるGNHについてメールを通して聞いている。)

 

 その日はつらい夜だった。私は標高2000m以上の高度、きついスケジュール、世界一辛いと言われるブータン料理に体がもたず、風邪をひいてしまった。重い体を持ち上げ、私は外出先から宿泊先まで友人の叔父の運転で帰っていた。私はその叔父さん(英語でUncleと呼んでいた)を初めて会った時から真のブータン人であると感じていた。陽気な性格に、仏教への信仰心の強さ、ジュグラムナムシャ(ブータンのおもてなし)の精神。彼はいつも車で私たちの前に現れる時、マリファナ柄のマスクをし、私たちにウインクをする。そんな彼に聞きたかった。“あなたはいつ幸せを感じるか”、と。私は彼に聞いた。そして彼はこう言った。“いつも幸せだよ。もちろん今もさ。”涙腺が緩み、揺れる車が私の頬を濡らした。体が弱っていたのだろう。それでも、私はその言葉に感動を覚えた。“ブータン人であるから幸せだよ。ただただ幸せ。”私の求めていた答えはこれだったのだろうか。そんなことを私はその夜、ベッドの中で考えていた。

 

 ブータンには10日間滞在した。素晴らしい人たちとの出会いもあった。だが、幸せの秘密は結局わからないままである。自然、仏教、王の存在、伝統文化、GNH。これらすべてが幸せを創り上げていることは間違いないだろうが、幸せの秘密は○○です!といえるものは見つからなかった。だが、それでいいと私は思った。なぜなら、私は幸せの秘密について考えている時が一番幸せを感じるからである。答えが見つかったら幸せにはならないと思った。“時には答えを知らない方が良い時もある”ブータン滞在中お会いした一人の農夫の言葉を思い出した。ブータンは私に教えてくれた。幸せについて勉強し、考えることが私にとっての一番の幸せなのだと。これからは“答えのない幸せの秘密”を探していこうと思う。

 

 最後にこの長く困難の多かった旅を共に行ってくれた私の友人けんと、滞在場所から食事、すべてのプランを考えてくれたブータン人APU学生のセンニンと彼のご家族、共に行動し、ブータンの自然美を見せてくれたブータン人APU学生ソナムと彼女の友人と家族、真のブータン人であろうUncle 、貴重なアドヴァイスをくれたマイケル・ロットランド氏、初めてお会いした王族の現国王弟ダショー・ジゲル・ウゲン・ワンチュック王子、ブータンでお会いした心暖かい方々。この旅はトラブルが多く、その度に多くの人々に助けていただいた。彼らなくして今の私はありえない。ここに感謝の意を表したい。また、このような経験ができたのはAPUという国際的・多文化な環境の中で巡りあうことのできた出会いがあったからである。これからAPUに入学を予定している学生も、今現在APUにいる学生も、APUでの出会い・発見は一人の人生を大きく変えるかもしれないことを忘れないでいただきたい。

 

སེམས་ཅན་ཐམས་ཅད་ལུ་དགའ་སྐྱད་འབྱྲངར་ཤོག།

生きとし生けるものすべてに幸せがありますように

 

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パロ国際空港にて。左から:友人けんと(APU学生)、Uncle、私、ブータン人友人(APU学生)

 

文責:石内良季 APS2回生