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APUTimes

このブログは立命館アジア太平洋大学(APU)に興味を持ってくれている皆のために、現APU学生であるGASSのメンバーが公表できるギリギリの範囲で情報を発信していくブログです。皆さんの力になれれば嬉しいです。がんばります。それと同時にAPUに関する質問をなんでも受け付けているFacebookページもやっているので、ぜひこちらも利用してください→https://www.facebook.com/groups/gass.media/

ヒサイシャとして、APU学生として、今できること

 4月16日午前1時25分、熊本を大地震が襲った。大分も、揺れた。鳴り響く「地震です」という警報に、止まらない余震に、緊張感が走った。TwitterもLINEも、たちまち地震の話題で埋め尽くされる。

 私はテレビもラジオもない中、外で流れる放送はカラスがうるさくて聞こえず、何が起きているのか理解するにも時間がかかった。4階でひたすら揺れに耐え、収まった頃合いで避難所へと逃げた。本棚から飛び出す本と、シンクの中で倒れる食器を横目で見ながら。

 避難所は、軽くパニック状態だった。女子高生が泣いていた。聞き慣れない日本語の単語に困惑する国際学生がいた。寝れなくて疲れ果てた近所のおばあちゃんたちの顔があった。

 

 目の前にある「誰かが困っている状況」で、自分にできることは何か考えた。

 「避難」「震度」「緊急」…。日本語の授業では習わないような単語のオンパレードに、国際学生は「What!?」の連続だった。そのため別府市内の避難所各地では、学生たちが通訳をしていた。市から何か情報があればその英訳が避難所に流れる。国際学生が何か困ったことがあれば、そこに日本人学生が向かう。まるで普段のAPUのような風景が、避難所でも変わらず繰り広げられていた。

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       (避難所、足の踏み場もないほど人がたくさんいた)

 Facebookグループ「Information BEPPU」を作って、情報をすぐに共有できるようにした学生がいた。そのグループでは3000人を超える学生たちがいろいろな情報をポストしたため、空いている避難所や物資の状況などが分かった。さらに、タイ大使館の補助により学生たちが福岡行きのバスに乗ることができる、という情報も、そのグループのおかげですぐに伝わった。一方で不安を煽るような書き込みもあったが、「何が真実で何が嘘なのか」「どの情報を信じるのか」ということを改めて考えるきっかけにもなった。

 その頃APハウスでは、RAが寮生を避難させ、安全を確認した後にハウスに戻った。しばらくの間は基本的にフロアにひとりRAが常駐している状態を作り、寮生たちが安心して生活できるようにしていたという。

 

 避難所から笑い声が聞こえるようになったのは、朝五時くらいのことだ。

別府大学の中は、笑っているAPU生たち、別大生たち、近所のひとたちで溢れていた。人はこんなときも笑って話せる。こんな時だからこそ、なのかもしれない。いつしか泣いていた子たちも泣き止んで、物資の水を飲みながら落ち着きを取り戻したようだった。みんなで笑って、配ってくれたブランケットにくるまって、みんなで一緒に寝た。それがどんなに心強いかを思いながら。

 それから一週間、APUの授業は全て休講になった。県外に避難した学生が多かったためだという。大阪や福岡に住む友人の実家に避難する国際学生がいたり、韓国人の家に避難する日本人学生がいたりした。助け合って命を守る選択をできたのは、APUならではだった。その間も学長がビデオメッセージをアップロードしたり、休講情報や現状などをAPUのホームページに載せたりと、APUの対応は早かった。月曜日にはオフィスの方々が「おかえりなさい」のボードを持ってキャンパスで出迎えてくれた。学生の半分は国際学生という環境の中で、地震という非日常を不安に変えないように、APUオフィスが団結していたのが目に見えて分かった。今も、「少しでも不安がある人はいつでも来て下さい」とヘルスクリニックが相談を受け付けている。

 地元に散り散りになったAPU生たちはその行動力を発揮し、各地で熊本や大分のためにできることを探していた。福岡に帰った友人は、熊本へ送る物資を受け付けていた大名小学校で一日中仕分け作業を行っていた。一緒に帰省した国際学生も一緒にボランティアに参加し、ひたすら仕分けをしていたそうだ。

 愛知や東京で、他大学と提携しながら募金活動を行うAPU生もいた。避難したいが場所のない国際学生のために実家をオープンして何人もの学生を受け入れた人もいた。 

 別府に残るという選択をした人たちも、その場に残るからこそできることを探していた。遠く離れた地から心配するAPU生の家族のために、別府の現状を伝えるサイトを開設した人がいた。別府駅前や大分駅前で募金や物資調達をした人たちがいた。由布院ボランティアの登録をしておき、必要になったらいつでも行けるようにした人がいた。別府で避難所生活が長く続いたお年寄りの方の精神的なサポートをしようと立ち上がった人もいた。

 APハウスに住む人たちも次々と帰省したため寮生は1200人から500人近くになったが、その中で大半のRAが残り寮生のサポートに回った。大学と提携してイベントを開き、地震によるストレスを軽減するよう努めていた。

 

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 被害は熊本や由布院ほど大きくないが、今回地震の経験や避難所生活など半分被災者となったAPU生たちは、「何かしなければ」という気持ちに駆られているひとが多かった。「親に言われて仕方なくだけど帰省してしまったからこっちでできることを探さなきゃ。」「アイツはもう熊本にボランティアに行く準備ができているらしいから俺もどこかに行かなきゃ。」と、焦る気持ちだけが先立っているように見えた。行動力がある人が多い分、どこか空回りしているようにすら感じた。

 今、APUも授業を再開し日常が戻りつつある。余震も感じず、下界の温泉には近所の人たちが賑わい、小中学生たちは元気に学校へ通っている。被害を受けた熊本のために、由布院のために、今できることは何か。APU生の本当の行動力を活かせるのは、これからだと私は思う。

 ボランティアの話をすると、必ず出てくるのが「善と偽善」の話だ。募金って本当に意味があるの?被災地に行くのは被災者のためなの、それとも自分のためなの?

「やらない善よりやる偽善」という言葉があるが、私は善か偽善か決めるのはそれを行う人じゃないと考えている。ボランティアをされる側がどう思うかが重要なのだ。ボランティアされることでその人が嬉しかったら、助けになったらそれは「善」だし、ただただ迷惑だったら誰が何を言おうと「偽善」なのだ。

 「自分が当事者だったら?」と相手の気持ちを考えて動くことは、実は難しい。だから、今回被災した人の気持ちが少しでも汲めるというのはアドバンテージである。

 空回り気味だったエンジンをフル回転させる時が来ている。私たちは熊本のために、由布院のために、これから何ができるのだろう。今、自分にできることは何か、とにかく考え続けて行こうと思う。

 

文責:鈴木桃 APS2回生

 

 

被害に遭われた全ての方のご冥福をお祈りするとともに、お見舞い申し上げます。

一刻も早く、全てが良い方向に向かいますように。